チロルの農園

 チロルの農園とは岩瀬果樹園の厳選フルーツをお届けするフルーツブランドです。
 愛知県豊橋市石巻から日本全国へ。私たちは次郎柿、梨、ぶどうを愛する農家です。

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私が岩瀬宏二です。こう見えて農夫です。

about me

私、こういうものです。

岩瀬宏二(いわせこうじ)

昭和51(1976)年6月10日
愛知県豊橋市石巻西川町生まれ。
岩瀬果樹園の二代目園主です。

幼少期

果樹園のなかを駆け回ったり、自転車に乗って近所を走り回ったり。自然豊かな石巻で、果樹と同じように太陽を浴びてすくすく育つ。

青年期

親戚じゅうが豊橋市内の桜丘高等学校の卒業生で、テニス部に入っていたこともあり、自分もごく自然に同校に入学し、テニス部に入る。なんやかんやで主将を務めることに。
桜丘高等学校では3年間、テニス、テニスの毎日で365日のうち、休みは夏休みの最終日と大晦日と元旦と、この3日のみ。農業の資本「健康な身体」はこのとき鍛えられたのかもしれない。
平成6(1994)年春には、第16回全国選抜高校テニス大会の選抜校になり、東海地区代表として奮闘。
平成7(1995)年、愛知大学経済学部に入学。大学の部活でも体育会のテニス部

▲可愛さ絶頂期

▲可愛さ絶頂期

▲箸が転んでもおかしい期

▲箸が転んでもおかしい期

に入り、ここでも主将を務める。秋の東海学生テニストーナメントでダブルス3位。東海学生一部リーグの春季リーグ戦で団体3位。大学在学中から、テニス・プレーヤーとして身を立てることも考え、挑戦もしてみたが、身体の故障が響いて断念。
しかし、テニスと関わっていたくて、ラケットにストリング(糸)を張る「ストリンガー」の仕事に目覚め、在学中から本格的に学び始める。
大学4年のときに、日本ラケットストリンガーズ協会(JRSA)の会員資格を取得。
「すべてのラケット・スポーツ・プレーヤーに対して、優れた技術でストリンギング(糸張り)を行なうことができる」と協会から認定され、はしゃぐ。

実は、日本のストリンガーの技術は世界最高レベルで、世界大会では、日本の選手が出場していなくても、日本人ストリンガーは、世界トップランキングのプレーヤーの専属技術者として数多く参加している。(ストリンガーまめ知識)

また、技術をさらに磨き、在学中にラケット糸メーカーのGOSENから「張人(はりびと)」というストリンガー資格を得て、張人ストリンガーというヒーローの

ような肩書きを頂く。
テニスのインストラクターと張人ストリンガーとしての職務をこなしていくうちに、平成12(2000)年~平成13(2001)年の2年間、日本で認知されたプロテニス大会の最高峰であるジャパン・オープン、東レ・パンパシフィック・オープンの2大大会で、GOSENのオフィシャルストリンガーとして世界の一流プレーヤーのストリングを担当させてもらう。

▲アテネ五輪金メダリスト 超人ニコラス・マスと張人ストリンガー

▲アテネ五輪金メダリスト
超人ニコラス・マスと張人ストリンガー

そして、月日は流れ、世間の荒波にもまれながら、平成21(2009)年、岩瀬果樹園二代目園主になる。

▼過去の記念(下部写真)
マイケル・チャン リサ・レイモンド
杉山 愛

ラケットを農具に持ち替えて

▼過去の記念

平成15(2003)年に妻と入籍し、翌平成16(2004)年2月29日の閏月(うるうづき)の閏日(うるうび)に結婚式を挙げ、平成16(2004)年7月には長男誕生。この長男誕生を機に果樹園の仕事を少しずつ覚えようと思い立ちました。
自身の苦労があるため、両親は果樹園を継げとは一切言いませんでしたが、幼い頃からの「いつか自分が」という気持ちも相まって、農業の世界にほどなく飛び込むことに。今では頭の先までどっぷり浸かっています。
違う角度から農業経営を試みたり、新しい挑戦をしたりと、試行錯誤を繰り返す毎日ですが、もっとも大切なこと、すなわち「安全でおいしいくだものを、最適な時期にお届けする」をモットーに、全力で悩み、取り組み、失敗し、たまに成功し、良いもの・美味しいものだけを皆さんにお届けするため、日々精進しています。

ラケットを農具に持ち替えて
AFTER